「対等」である事、とは?
対等であれば、全ては「ありがとう」になる。
上下の意識があると、気持ちの贈り物が、「あたりまえ」にされてしまう。
・お金を払っているから、それをされるのはあたりまえ。
・大きな役割だから、それをするのはあたりまえ。
・ポジションが下だから、それをするのはあたりまえ。
そうなると、気持ちの贈り物のキャッチボールが始まらず。
始まりかけても、続かず。
気持ちの贈り物は、どこかで終わりを迎えてしまいます。 「双方向」じゃぁなくなってしまうのです。
(私からの気持ちの贈り物も、続かなかった事がありました)
だから、 お客さんもお店も、対等。
等価交換しているから。
組織の中も全員、対等。
それは当然、人間同士なのだから。
感謝や尊敬は、それとは「別」に、しっかり持っておればよし。混同するべからずです。
カフェトリエで常々発信し続けている「対等」には、このようなコードがあります。
内部でも、外に向けても。 胸を張って「対等」であるために、あるべき仕組み、するべき行動と努力を、徹底しております。
- カフェトリエ編集部